小松島の“ごっつい(すごく)いいところ”を紹介するこのコーナー。
今回は数百年の歴史を超えて受け継がれる“花火”をご紹介します。
小松島市の夏の風物詩として
なぜ〝花火〟が有名なのか知ってる?
1934年に始まって以来、小松島市の夏の一大イベントとしてすっかり定着した感のある『小松島港まつり』。1日目は自衛隊の祝賀飛行からスタートし、市内の有名連による阿波踊りやフラダンスショー、コスプレショーや民謡の夕べのほか、浴衣コンテストなどが行われます。毎年、多くの人々が楽しみにしているこのイベントのフィナーレを飾るのが、四国最大級の大玉花火連発数を誇る『納涼花火大会』です。
※写真提供:佐賀火工株式会社
豪華絢爛なスターマイン花火や最大320メートルまで広がる尺玉花火など、約2,500発もの多種多様な花火を観ることができる『納涼花火大会』。大量の火薬を使う尺玉花火は、安全を確保するための保安距離が設定されており、一般的に市街地での打ち上げは難しいといわれています。しかし、小松島市の『納涼花火大会』にはそんな心配はいりません。台船を利用して海上から打ち上げるため、多くの尺玉花火を楽しむことができるのです。
日本全国、どこの行政もなかなか予算が厳しくなった昨今、小松島では、どうしてこれほどの規模とクオリティーの花火大会が80年以上にわたって開催され続けているのでしょう。その理由を今も地元に残る2つの花火会社にお聞きしてみました。
どうやら小松島は
昔から“阿波花火”のメッカだったらしい
最初にお伺いしたのは、江戸時代に創業以来、約140年以上も小松島の花火の歴史と技術を継承し続けてきた佐賀火工さん。「小松島は昔から“阿波花火”で知られる一大産地でした」と語るのは、同社を率いる佐賀 守社長です。
「阿波藩の軍用火術として火薬製造の秘法が伝えられてきましたが、それが後に立江の八幡さんや中田の八幡さん、田野の天王さんなどに奉納する花火のルーツとなりました」。最盛期には小松島市だけで10軒以上も花火を製造する会社があったそう。まさに“阿波花火”のメッカだといえるでしょう。
花火職人としてどんなことを大切にしているのか、佐賀 守社長に質問してみました。「まず何よりも安全であること。危険な火薬を扱う仕事ですから、可能な限り安全性を高めていくのが私たちの使命なんです」。美しいものを見せるのは当然。「慎重に事故を起こさないように注意を払ってきたからこそ、今までやってこれたと思っています」と佐賀さんは静かに微笑みます。こういう方が小松島の花火を支えてきたんですね。
佐賀火工さんの倉庫には、昭和初期の『小松島港まつり』をはじめ、全国各地の花火大会のポスターがズラリ!一枚一枚を眺めているだけでもワクワクしますが、当時の習俗がわかるという点からいえば、すごいお宝だといえるかもしれません。また、花火競技大会などで何度も優勝されているほか、優れた花火を評価する『総理大臣賞』も受賞しています。
豊富な経験と技術を生かして、小松島市のみならず、全国各地で打ち上げられる花火を手掛けている佐賀火工さん。四国四県はもちろん、西日本一円にかけて、丁寧につくられた美しいも花火が夜空を彩っているといいます。「同じものをつくり続けていても駄目なんですね。観客は常に新しいものを求めていますから。とにかく期待を裏切らないことを考えながら花火をつくっています」。いつも新しい花火につながるアイデアを探している佐賀社長。努力を怠らない姿勢で、観客を驚かせる花火を生み出したいと力強く教えてくれました。こんな言葉を聞いていると、次の『小松島港まつり』がさらに楽しみになりますね!
小松島市の「玉屋」と「鍵屋」!?
良きライバル魂が“阿波花火”を進化させる!
気になるもう一つの花火会社が市山煙火商会さん。こちらも長い歴史を持っており、商会として設立されたのは大正時代のこと。創業100年を超える伝統を誇る花火専門の会社です。「昔に比べると、今の花火は明るく、色が鮮やかになっています」と語るのは、同社の4代目を務める市山賢光社長。安全な原料を使い始めたので、製造中に起きることがあった不慮の事故もなくなったそう。それでも特に安全性には配慮しているそうです。
ちょっぴり工房を覗かせていただいたところ、ちょうどベテランの花火職人さんが作業中。いったい、何をしているところなのでしょう?「これは“玉込み”ですね。花火の色を出す“星”と、打ち上がってから花火の玉を割るための“割薬”を“玉皮”に詰めています」。
”星”も“割薬”も粉末状の火薬と薬品を固めたもの。真っ黒な丸薬のような見た目ですが、これが夜空を大輪の花となって彩るわけですから、本当に花火は奥深い世界です。
市山煙火商会さんでは、最大で30号までの花火が製造可能となっています。30号ともなると玉の直径は何と90センチ!いわゆる三尺玉と呼ばれる非常に大きな花火で、到達高度は約600メートルに達し、半径275メートルという特大サイズの見応えあるものだそうです。
「花火には設計図がありません。どんな色と形にするかは、長年の経験で決めていくものなんです」と三尺玉打上筒の前で教えてくれた市山賢光社長。ずっと担当している『小松島港まつり』は、地元の一大イベントだけに特に思い入れも深いと言います。「準備段階から打ち上げ当日まで大変なこともありますが、私たちがいる海まで歓声や拍手が届くと、花火をつくっていて良かったと思いますね」と笑顔を見せてくれました。
毎年、9月には『元根井花火大会』、10月には『横須花火大会』が開催されるなど、徳島県のほかの地域と比べても、ダントツで花火を観ることができる機会が多い小松島市。それはやはり佐賀火工さんや市山煙火商会さんのような会社が頑張ってきたおかげでしょう。『小松島港まつり』はこの2社が交代で担当しており、互いに切磋琢磨してきたからこそ、毎年、多くの観客が足を運ぶ一大イベントに成長してきました。ぜひ皆さんも“阿波花火”の歴史に彩られた小松島に足を運んでくださいね。
小松島港まつり
問い合わせ先:小松島港まつり運営委員会事務局(小松島市商工観光課内)
TEL:0885-32-3809