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たぬきの民話・伝説

伝説

金長物語

狸像の写真

江戸時代の末期ごろ、日開野に金長という狸が住んでいた。ある時、村の子どもたちが枯葉を燃やし、穴の中の金長をいぶり出して苛めていると、日開野の染物屋「大和屋」の主人・茂右衛門が通りかかり、哀れに思って命を助けた。金長は、恩に報いるため「大和屋」に移り住んで、守り神になり、店は大いに繁盛した。
金長はその後、津田浦の六右衛門という狸の世界の大物の所へ弟子入りした。やがて、六右衛門は頭のよい金長の才覚に目をつけ、養子になれと誘ったが、金長が拒否し逆に六右衛門のやり方を注意した。怒った六右衛門は金長とその家来を、60匹の軍勢で襲った。
辛うじてひとり日開野に逃れた金長は仇討ちを誓い県南の狸に呼びかけ、六右衛門討伐の兵を挙げた。この戦いを「阿波狸合戦」という。金長軍が死闘を制した。金長は六右衛門に一騎打ちを呼びかけ、激闘の末、六右衛門を討ち取った。しかし、自らも致命傷を受け、せめてご主人の茂右衛門に別れを告げようと、日開野に帰ってきた。苦しい息の中、金長は茂右衛門に優しくしてもらった礼をいい、静かに息を引き取った。彼の生き様に感激した茂右衛門は、正一位金長大明神として長くまつったという。

 

民話

田野久

文政の頃田野村に、九兵衛という親孝行な旅役者がいた。容貌もよく、女役で、演技もせりふも優れていたので、彼の名声は四国くまなく知れわたり、田野村の生まれなので、誰ともなく「たのきゅう、たのきゅう」と呼んで、ファンもたくさんあった。
ある秋のことである。彼らの一行が讃岐で興行中のことであった。九兵衛の楽屋へ飛脚が来て、父の危篤の報を伝えた。親孝行者の九兵衛は、飛脚をさきに帰らせて、自分の出番が終わると、座長に許しを得て、急いで夜の讃岐路をひた走り走った。阿波国境の大阪越えの難所にさしかかった時には、もう既に真夜中であった。月明かりの峠道は通りにくく、その上ここは大蛇がいるということで、昼でも一人通る者はいない。父の安否を気づかっている九兵衛は、そんな恐ろしさも忘れて一目散に峠道を急いだ。中程にある岩かどを回ろうとする時、誰かが、
「お前は誰じゃ?」
と急にもの凄い声で呼び止めた。先を急いでいる彼は、こんな所で猶予する時間がない。とっさに、「たのきゅう」と答えてそこを行き過ぎようとすると、その岩の洞窟の入り口にうわばみが、とぐろを巻いて、凄い目をらんらんと光らせていた。九兵衛が「たのきゅう」と言ったのを、うわばみは「たのき(狸)」と、間違えたらしく
「たのきなら、俺と化けくらべをしようじゃないか」
と挑戦してきた。早く帰らねばならぬ心でいらだっている九兵衛は素早く、艶やかな、年増の女に変装して現れた。この見事な出来ばえに驚いた、うわばみは、「これは驚いた。本物の人間そっくりだ。俺の負けじゃ。とうてい俺の及ぶところではない。ところで、そのお前は世の中で何が一番恐ろしいか?」
と問いかけてきた。
「世の中で一番恐ろしいのは、お金じゃ。大判や小判を持っていると、身を滅ぼすから、これが一番恐ろしい。それではお前は何が一番恐ろしい?」
と問い返すとうわばみは
「俺はそんなものではない。煙草のやにと、柿のしぶが一番恐ろしい。それはこれを舐めると俺は死んでしまうからだ」
と答えた。
これを聞くと、九兵衛はそのまま後をも振り返らずに山を駆け下りた。麓へ下りた時は東の空があかね色に染まって、よく働くこの辺の村人たちは野良仕事に出かける頃であった。九兵衛は、この人たちに大阪峠の夜中の出来事を詳細に話すと、時々出てきて、麓の村を騒がす憎い大蛇を懲らしめてやろうと村人たちは、村中の煙草のやにを集め、今真っ盛り渋柿のしぶをたくさん搾り取って、うわばみのいたという洞窟の入り口へ、うず高く積みあげた。これを見たうわばみは烈火のように怒って、半死半生の身体をのたうちながら、田野までやってきたと思うと、小さい九兵衛の家を二重に巻いて、屋根裏から大判小判をザクザクザクと雨のように降らせて、そのままどこともなく立ち去った。間もなく父の病気も平癒した九兵衛は、村一番の長者になった。

神社・祠

金長神社本宮

金長神社本宮

昭和14年、新興キネマ(後の大映)が金長をテーマにして「阿波狸合戦」の映画を制作上映したところ、名声を博したので金長の霊をなぐさめるため当時の社長や俳優たちが寄進して金長神社本宮は創建された。芸能上達、商売繁盛に祈願すれば霊験あらたかであると言われる。

 

金長神社

金長神社

現在日峰山のふもとにある「金長神社」は昭和31年「阿波狸合戦」の再映画化の後に建てられたもので、芸能上達、商売繁盛の神として崇められている。

 

神子の藪狸大明神

神子の藪狸大明神

神子の藪狸は子ども好きでよく川遊びをしたという。近くを神田瀬川や農業用水が流れて、子どもを水難事故から守り、入学試験、交通安全に祈願すれば霊験あらたかであると言われる。

 

鳳ノ木狸大明神

鳳木狸大明神

鳳来橋の北詰、鳳木地蔵の付近に住んでいた狸で、鳳栄町、馬場の本付近の子ども達と神田瀬川で小魚を採ったり釣ったりして遊んだ。子ども好きの狸として近所の人々に可愛がられたそうである。(子どもの安全守護、水難除け)

 

榎狸大明神

榎狸大明神

大きな榎の下に住んで、子どもが浜辺で遊んでいるとき榎の実鉄砲を作ってやり、いつのまにか仲間になって遊んでいたと言われる。小松島町房浜の杜で鎮座している。

 

大鷹・小鷹・熊鷹大明神

大鷹・小鷹・熊鷹大明神

日開野町の藤樹寺に鎮座している。大鷹は金長の身代わりとなって戦死した。大鷹の子である小鷹は阿波狸合戦で晴れて父の仇を討ち、二代目金長となって小松島浦に善政を施したと言う。熊鷹も大鷹の子で父の仇に活躍した。農家魚家を守護し、交通安全、厄除けに霊験あらたかと言われる。

 

田左衛門大明神

田左衛門大明神

北辰一刀流の皆伝を持っていたと言われ、阿波狸合戦には金長方の軍師を勤め勝利に導いた田左衛門。入学試験、商売繁盛、交通安全などを祈願すれば霊験あらたかと言われる。

 

祐七大明神

祐七大明神

小松島市の弁天さんは恩山寺の鬼門を守るために勧請した。その境内に祐七大明神は鎮座している。子どもが大好きで弁天祭りには、子どもに化けて相撲を取ったり、近所の漁師の魚をちょろまかせて喜んだユーモラスな狸である。商売繁盛、縁談、勝負事、子どもの諸願には、霊験あらたかだと言われる。

 

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